"父の話"の記事一覧

父の話(1)

お墓参りに行くといつもふと思うことがある。我が家の墓は父だけが入っている。父が初代だ。もちろん、私の父が突如としてこの世に生まれ出たわけでない。つまり「先祖代々の墓」ではないのだ。父は貰い子です。生前、彼は詳しい経緯を話してくれなかったので思ってもみなかったのですが、戸籍謄本を取り寄せるにつれて、いろいろとわかってきたんです。彼の父と母…

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父の話(2)

人に引き立てられることの意味 父が通っていた時代の学校は尋常小学校、これは6年制(12歳まで)、その後、高等小学校が2年あった。これで義務教育は終わる。つまり、14歳を超えたところで社会人となっていた時代。今の中学生卒と同じ感覚だけれども、彼が高等小学校まで行っていたかどうかは不明。なぜなら、彼は貰い子でしたから、そんなに先の学校に進学…

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父の話-一言も怒られたことのなかった自分(3)

ほろ苦い思い出。 そう言えば、私は父に怒られたことがなかった。多分なかったと思う。大学時代、学生仲間でドライブに行った。4人で近郊の山に行った。運悪く、その日の曇り空は、山道に入った我々の車を追いかけてくるように雪に変わり、1時間後、大雪になった。辺り一面はまさに銀世界。林道の山道は車一台、人っ子一人いなかった。雪は外界の音を一切消した…

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いじめに遭っていた父の話(4)

生前、決して、この件で多くはしゃべらなかったけれども、学校帰り「馬糞を食え」と言われたことがあると一言ポツリと言ったことがあったので、普通に考えれば、きっと何回もいじめられていたのだろう。貰い子でチビときては、いじめには好材料であったと思う。馬糞も実際に食べた。 しかし、彼は決してめげなかった。じっと我慢をし、不登校にならなかったのは、…

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父の話(5)

振り返ってみると、彼が悪口を言っていることを聞いたことがなかった。正確に言うと、意見は言ったが悪口は言わない人間だった。私は他人の悪口、噂話は飯より好きな人種で、全くDNAは受け継いでいない。確かに悪口はそのときの気晴らしにはなるけれども、決して自分の心の中は洗浄してくれない。嫌な脱力感のみが残ってしまう。しかし、それを言っている本人は…

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最後の父の話(5)

2016.7.12 93歳、彼の長い闘病生活は幕を閉じた。ほぼ20年近い闘病生活に別れを告げられたことは、彼にとっては安堵以外の何ものでもなかったんではないかと思いたい。私も、それによって看病生活から開放されたことになった。しかし、あくまても母親のサポートであり、正直、安堵というよりも、やはり残念という気持ちが強かったかもしれない。最後…

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大失態をした

2017.9.29 すごいいい天気だ。仕事はまだ終わらない。でも・・・・・。 忘れていた。直近まで覚えていたのだけれど、11年目の大失態だ。 それも夫婦二人で忘れていたのだから、どうしようもない。 何のことだ? 親父の命日。11年前の9月28日に彼は亡くなった。2回の梗塞を患い93歳で亡くなった。 …

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桜を見ていたら、ふっと思い出した

2018.3.29 崎陽軒の弁当は結構好きだ。 経木の香りが白米に付いていて、とても食欲をそそられる。 今日は二人とも仕事で出ていたので、夕食は崎陽軒を買って帰ってきた。 ----・----・----・---- その道すがら、2キロ近く桜並木が続く。 いつもこの時期は、少しだけ遠回りしてその桜街道を通…

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13回忌

2018.7.28 こんにちは。 台風が近づいている。間断なく雨は降り続け、今は激しさを増している。夏の雨は湿気を呼ぶ。ちょっと居眠りをしようものなら汗だくだ。今回は関東地方、我在住の千葉に近いところを通り西に向かう。 普通、台風は西から東に向かう。古今東西、古の昔から自然現象はそうなっている。ドラゴンボールのベジータがあらわ…

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早13年が過ぎた

2018.8.26 あっ~~~ついね。 空気を吸うと生暖かいものが胃に入ってきて気分が滅入る。 蒸し風呂を当に越して室の中にいるようだ。 さっきスーパーに行ったけど、「赤城しぐれ」に代表されるかき氷類は全くなくなって、やっとのこと、フリーザーの奥深くにガリガリ君を見つけて買ってきた。 ----・----…

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